かつては子供でも怒られることが普通の時代だった。
昭和30年生まれの私が子供の頃、親に叱られる事は日常茶飯事でした。親どころか学校でも、先生に叱られたり、頭を叩かれたり、授業中に教室の一番後ろに立たされたりしていました。
親が学校に文句を言いに行く事など考えられない事でした。塾ではたまたまその日に横一列6人の席に座った人の中で、宿題を忘れてきた子が一人いたばかりに、連帯責任と言って塾長にスリッパで頭を叩かれることもいつもの出来事です。
理不尽な出来事から学び強くなる
子供ながらに、次からは座るメンバーをよく考えて座るようになりました。要領もよくなったものです。
部活も理不尽な言いがかりで、一学年全員が雪の上で一時間正座したこともありました。いっぱいの理不尽を経験して社会の中で体験する理不尽も容易に受け入れて生活していました。
今では考えられない事ですよね。塾や部活の連帯責任は今考えてもどうかと思いますが、それなりの経験としては効き目がありました。
社会に出るといろいろな人がいて、気に食わない人間がほとんどです。同じような価値観、常識を持った人に出会う確率は非常に少ないと思います。それでも生活の為、我慢をしたり、解決策を模索したりして必死で生きて行かねばなりません。早いうちに理不尽な経験をした人はそれを乗り越える術を体得しているのだと思います。
小さなうちに、親や大人が「理不尽」を排除して子供を育てていたら、たいそうな大人になってビックリして困るのは本人なのではないかしら。
子供のうちに怒られないと気づけない事がある
親や、学校の先生に怒られることはそれなりに理由があった気がします。今は叱る人間が責められるし、責任問題にまで発展します。本当にこのままでいいのでしょうか?
我が家の2人の男子が小さい時は、障子を破きたくて指を障子に手をかけた瞬間私に手の甲をパシッと叩かれたり、電気のコンセントに物を突っ込みそうになって叩かれました。
子供は何かに夢中になると一瞬シーンと静かになります。(排便の時も静かですけどね)危険な時は「だめよ」と言っている間はありません。パシッです。
危険な事、迷惑をかける事などの場合は、声を荒げてもその場で注意し、場合によっては、パシッ!!もありではないでしょうか?
外食しに行っても、大人が会食を楽しんでいる場所で、騒いだり走り回ればその場を楽しみに利用していらっしゃる方々に迷惑です。ルールを守れないなら行くべからずです。
人様に迷惑をかけない事も子供ながらに教えなければ、その子供が大人になった時を想像すると、自分本意にしか考えられない世の中になってしまうのではないかと、心配になります。
最近は子供に注意した言葉の使い方までをも、注意した大人が子供に注意される現状を目の当たりにして・・・?????です。
社会に出てから困るのは怒られずに育った子供達
社会はいろいろな人が共存して成り立っているのに、(無人島なら気にすることはないかもしれませんが)自分以外の人を思いやる心は親が生活の中で教えていかなければならないのではないでしょうか?
自分たちがやりたい事をして何が悪いのと言わんばかりに、それを指摘されると指摘した人間が責められる風潮はいかなるものでしょうか?誰も何も言えなくなりますよね。
「〇〇ちゃんだめよ~」とか、子供の動きを見ておらず、知らんぷりしている方も見かけます。その方々が注意をすると逆に嫌な思いをなさったり、現代の風潮から言えなかったりという現状を、いろいろな方と話していて、憂いています。
親が子供のために本気で叱る事は必要
今のお母さんたちが怒っている姿をまず見かけなくなりました。怒っているつもりかもしれませんが、親がマジ怒っているかどうかを子供は瞬時に判断してほぼ言うことを聞きません。
何が正解で、何が不正解かわかりませんが、褒める時も、叱るときも真剣に立ち向かって育ててもらいたいと年寄りは思います。
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